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開設日:2019年04月27日
更新日:2022年01月27日
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◇◇◇ はじめに ◇◇◇

大した者ではありませんがプロフィールのページを作ってみました。 よかったら読んで下さい。

◇◇◇ 勉強と成績について ◇◇◇


小学校の低学年の頃は,あまり良くなかったです。 中学まで7の段ができませんでした。 あと右と左は,高校生になった頃も間違えていました。 低学年の勉強が簡単過ぎるので舐めていて結局,覚えないで分からなくなるという...

高学年の頃は,テストの出来が良かったです。 周りの人と比べても良く出来ていた方です。 IQ160の人と良くテストの点数をくらべっこしてました。 少し負ける程度でした。

中学では,テストの成績が発表されます。 初めての中間テストで学年10位以内に入って自分が結構,頭良い事に気が付きました。 姉がいたのですが姉は,真面目でテスト前になるとかなり勉強してたので一応,真似してテスト勉強するようになりました。 成績は,ちょっと波があって7~15位をいったりきたりでした。 後から知ったのですが私の通っていた中学の私達の学年は,頭の良い人が極端に多いので10位以内に入るのが難しいのだそうです。 高校の時に同じクラスになったIQ150の人に勝った事があるのですがその人は,隣町の中学で一番だったそうです。 つまり,町が一つ違ったら私も一番になれた可能性があるという事になります。

高校は,工業高校に進学しました。 テレビドラマの金八先生で「資格を持っていると食いっぱぐれない」と放送していたので資格をとろうと思いました。 取れる資格は,ほとんど取りました。 でも中間と期末のテスト勉強は,ほとんどしませんでした。 一度だけ本気で勉強した事がありますがクラスで4番になりました。 そのクラスも頭の良い人が多かったようです。


◇◇◇ 仕事について ◇◇◇


仕事は,計測器メーカーに就職できました。 会社では,自動車やバイクの燃費を計測する燃費計の検出部の製造を任されました。 会社の計測器は,基本的に表示部と検出部に分かれていて表示部は,電気系のユニットの調整なので電気・電子科卒の人で検出部は,機械の組立と校正(調整)なので機械科卒の人が任されてました。 電気系の表示部と機械系の検出部を接続してはじめて計測器として機能するというわけです。

私の部署は,機械系の部署だったのですが後に電気系の表示部の調整もする事になりました。 電気系の部署に修行に行き,いろいろ教えてもらって製品の移管をしました。 調整は,簡単だったのですぐに出来るようになりました。 電子回路の修理もあまり難しくなかったのでマスターするまでにあまり時間はかかりませんでした。

その後,東京の技術センターの燃費計の部署でディーゼルポンプの噴射量測定器の立ち上げと調整に人手が欲しかったのでお呼びがかかりました。 相当忙しくて始めの2週は22時頃まで。次の週は2時頃まで。最後の週は4~5時頃まででホテルに帰らずに会社の食堂の椅子を並べて仮眠してました。 1ヶ月で190時間くらい残業しました。 疲れが溜まっている時にほとんど徹夜はきつかったです。 特に最後の週は,1週間に8時間しか寝て無かったです。

その後,東京の技術センターに出向する事になりました。 作業は,噴射量計の電子ユニットの立ち上げと検出部の組立・校正でした。 一つだけ電子ユニットの設計を任された事がありましたが修理と違って設計は,難しかったです。 川崎市に部屋を借りて初めての1人暮らしを経験しました。 1人暮らしというのは,部屋に帰っても誰も居ないのですね。 仕事では,名古屋によく製品の納品に行きました。 1週間くらい部屋に帰れない事もよくありました。 東京は,徹夜も普通にあって出張でなくても一晩くらい帰れない事もありましたが充実してました。 2年で帰ってきました。

その後,流量計から卒業を言い渡されて以前,修行に行った部署に配属になりました。 そこで電子ユニットの調整と修理をしました。 電子回路は,慣れたものです。 部署のみんなともある程度,仲良くやっていました。

たぶん,ちょっとした手違いなのだと思いますが更に別の部署に飛ばされる事になりました。 発送の梱包の仕事でした。 何故なのかわかりませんでしたがやるだけやってみました。 そこでは,部署で使うソフトウェアを作りました。 パソコンは,23歳の時からやっていましたがそれが役に立ちました。 また「MS-Access」も覚えました。

発送の仕事を見ていたある部署の課長がある時「うちに来ないか?」と言ってくれました。 「行きたい」と答えた数日後に移動が決まりました。 そこは,基板のパターンを印刷(または露光)する機械を造っている部署でした。 移動になって少し経った頃に新製品の電気回りの担当になりました。 値段を聞いたら約5千万円と教えてくれました。 私は,電気回りの立ち上げを担当しました。 また,国内の基板メーカーのある場所に納品や修理のためよく出張に行きました。 後半は,修理担当になってました。 まあ,失敗もありましたが内緒です。




基板は,表面に部品が載っていて裏面に電気の通り道が銅箔で描かれています。 この銅箔のパターンが電子回路になるわけです。

移動になって少し経ってから会社でインターネットを利用する事になりました。 パソコンに詳しいのでPCサービス委員に選ばれて接続と説明をしました。 その時に大勢に説明する事が面倒なので社内ホームページを作り立ち上げました。 社外の人も見たいという人がいたのでジオシティーズにもアップロードして見られるようにしました。 なかなか好評のようでした。 因みに私が作ったサイトは,テレビのドラマでも使われたのですね。 驚きでした。

その後,理由が分かりませんが首になり,いくつかの会社を転々としてどこも1年くらいで首になりました。 その後,うつ病が悪化して現在に至ります。


◇◇◇ 音楽について ◇◇◇


小学校から中学2年生までは,普通でした。 中学3年生の時に受験勉強の合間にFMで「QUEEN」を聞いてしびれました。 音楽は,一度,ぴったり合うレベルの音楽を聴くと好きになるらしいですが私の場合は「QUEEN」だったようです。 少ない小遣いで外国のロックバンドのレコードを聞きまくりました。 その当時は,レコードなのですね。 今も家の棚に飾ってあります。 友達に録音してもらった「Ozzy Osbourne」も好きになりました。

高校生の頃は,ギターにハマリました。 初めは,安いフォークギターを買って歌謡曲を練習しました。 その後,ゴルフ場でキャディーのバイトでお金を貯めて半年位した頃にエレキギター(ストラトキャスター)を買いました。 「Deep Purple」や「Michael Schenker」などをコピーしました。 ただ,基本的に下手で人に聞かせるほどではないので練習のみでした。 楽譜そのままでは読めなくてタブ譜を見ながら弾いていました。

日本で活躍している人では,サザンオールスターズの桑田佳祐さんも昔から好きです。 サザンオールスターズは,確か私が中学1~2年くらいの頃にデビューしたのだと思います。 小学高学年の頃には,ピンクレディーやキャンディーズなども流行っていました。 松田聖子さんは,中学生の頃にデビューしたのだと思います。 初めの曲は,元気に歌う曲で「青い珊瑚礁」でした。 2曲目は,元気に歌う「青い珊瑚礁」という曲で印象的でした。 でも私は,聖子ちゃんより明菜ちゃん派でした。

カラオケも好きです。 日本のあらゆるポップスを歌います。 但し,下手なのでジャイアン状態で迷惑かもしれないので最近は控えてます。

最近は,AKB48などを良く聴いてます。


◇◇◇ スポーツについて ◇◇◇


はっきり言って運動音痴です。 特に1000m走は,遅くて最後尾になる事が多かったです。 なので体育は,大嫌いでした。 ほとんどのスポーツが走力が大切なので全滅に近いです。 ただ,球技は,何故か?人並みに出来ていました。

中学の部活は,剣道をやってました。 本当は,卓球をやりたかったのですがクラスメートに「剣道が合っていると思う」と言われたのでやってみる事にしましたが下手だったので完全に無責任な発言だったと思います。

高校には,クラブ活動の時間があったので卓球を選択しました。 1年の時は,先輩らが完全に台を占領していて出来ませんでしたが3年になると練習できました。 中学時代に卓球部だった人が取れないサーブをあみだしました。 校内球技大会も卓球を選択して選手で出場したのですが団体戦で私だけ負けてしまいました。 団体としては,優勝だったので良かったのですが単に足を引っ張っただけに終わりました。 結局,運動音痴でした。

社会人になってからは,運動音痴だった事をすっかり忘れていくつかの競技を楽しんでみました。 姉がテニスを始めたので私も付き合いでやってみました。 因みに会社には,テニスコートがあったのでたまにやってみました。 一応,テニス部に所属していて合宿という名の飲み会に参加したりしましたがしっかり素振りをやらないと上手くならないようです。

あと,先輩に誘われてスキーもやりました。 冬になると月に2~3回のペースで行ってましたが結局,絶壁は制覇できませんでした。 下の方のなだらかなコースならパラレルもウェーデルンもできるようにはなりました。

90年代始め頃にサッカーのJリーグが始まりました。 それに乗っかる様に会社にもサッカーチームができました。 小学生の時に部活でサッカーをやっていたので興味があり,参加しましたがサッカーって走る競技なんですよね。 上手くできるはずがありませんでした。 その後,強いチームと戦ってチームは,バラバラになり終焉を迎えました。


◇◇◇ 自動車について ◇◇◇


自動車は,高校3年の夏に普通自動車運転免許証を取りました。 会社に入った時に車で出社したかったのですがお金の問題で断念しました。 とりあえず,1年くらい列車で通って頭金を貯めてから購入する事にしました。 1年だとかなり貯まるので残りのローンは,緩めでした。 初めての車は「カローラレビン(AE86後期型)」で新車でした。

購入してから1ヶ月位経った頃に事故を起こしました。 単独事故でした。 コーナーの中央付近が前日の雨で濡れていて後輪がスリップしてカウンターが間に合わず,土手に乗り上げて横転しました。 あわてて外に出ようとしたのですがドアが空きませんでした。 良く見ると運転席側が下になっていました。 助手席側のドアを上に押し上げてなんとか脱出しました。 後から来た人達に車を倒してもらいましたが運転席側がベッコリいってました。 修理代は,50万円ほどで車両保険でやってもらいました。

2回目は,祭りの日に会場の前を走っていたら突然,軽自動車にぶつかりました。 その道路は,駐車場になっていたのです。 おまけに街灯の明かりが照らしている箇所がくっきりと明るいタイプでした。 その先の暗い箇所に軽自動車が停まっていたので明るい箇所に入ると光の加減で全く見えなかったというわけです。 軽自動車は,廃車で私の車はフロントが滅茶苦茶でした。 修理代の50万円と軽自動車代金を保険で支払いました。

かなりボロボロでしたがまだ走れるので乗ってました。 ある時,夜にドライブしていたらなんとなく「日光のいろは坂に行こう!」と思いました。 その当時は,いろは坂が走り屋のメッカだと知らなかったのですがなんとなく行ってみました。 かなりの台数,走りに来てました。 夜の峠は,ちょっと怖い雰囲気がありました。 いろは坂は,上り下りともに一方通行で特に上りは道幅が広く大きくアウトインアウトで走れるのですね。 慣れている人は,低速コーナーが連続する下りでドリフトを決めるのですね。 初めの頃は,2週に1回くらいでしたが次第に毎週末の日課になりました。 初めの頃は,遅かったのですがそれなりに走れるようになりました。 その後,東京に出向になり妹に車を預けてたのですが事故で廃車にされました。

次の車は「2代目CR-X」でした。 黒でかなり流行っていた車種で中古で購入しました。 FFなのですがコーナーリングの途中でアクセルを緩めると簡単に後輪がブレークして楽しい車でした。 ただ,高速では怖くて出来ませんでした。 それが出来るとまた一段と皮がむけるのですが。 いろは坂でも使えたのですが年齢が年齢なのでほとんど行きませんでした。 1回だけジムカーナの大会に参加した事があります。 結果は,4位でまあまあでした。 通勤で片道約35km乗るので7年くらいしか持ちませんでした。

次の車は「セリカ GT-FOUR」でした。 中古車屋で見せてもらって気に入りました。 3ナンバーだったのですがその頃は,税金が安くなっていたので購入する事にしました。 自宅付近は,冬になると雪が降る事があるので4WDは心強かったです。 この車も結局,7年くらいしか持ちませんでした。 最後は,冷却水が洩れて古い型なので部品がなくて修理不能で廃車になりました。

今は,軽自動車で大人しく走ってます。


◇◇◇ パソコンとゲームについて ◇◇◇


ゲームと出会ったのは,小学生の頃で友達の「ゲームウォッチ」をやらせてもらいました。 「ゲームウォッチ」は,ゲームボーイの御先祖様に当たる機種になります。 持ち運びが可能なハンディタイプでソフトとハードが一体化されていて5000円くらいでした。 友達は,飽きたらしく私が買い取りました。

家庭用ゲーム機は,その後の時代に友達の家へ行ったら「ファミリーコンピューター」以前の機種がありました。 ネットで検索しても同型機がヒットしないので相当,マイナーな機種だったのだと思います。 その後「インベーダーゲーム」が流行りました。 中学1年生の頃でした。 家が商店だったので「インベーダーゲーム」を勧められて店に置く事になりましたがほとんど儲けがなかったので早目に引き上げてもらいました。 その後,高校生になった頃にパソコンブームがあり,友達の家に遊びに行ったらパソコンが置いてあってゲームをやらせてもらいました。 アドベンチャーゲームだったと思います。

本格的にゲームをやるようになったのは,87年頃からだと思います。 会社の売り上げが好調で社員全員が会社からプレゼントを貰える事になりました。 いくつか選べたのですが私は「ファミリーコンピューター」を選びました。 ソフトは,自分で購入しました。 「スーパーマリオブラザーズ」や「ドラゴンクエストⅢ」などをやりました。 特に「ドラクエⅢ」は,夢中で遊びました。 「もうちょっと,もうちょっと」とやってしまって朝の4時頃になってしまって次の日の仕事が辛かった事があります。 その後,ゲーム機は「スーパーファミコン」や「セガ サターン」「プレステ2」などを購入して遊んでいましたが「プレステ2」が壊れてしまってからはゲーム機を買っていません。

初代のパソコンは,90年頃に購入しました。 東京に出向に行っていた頃にプログラムを勉強しようと思い,秋葉原でNECのPC9801EXを購入しました。 あの頃は,結構な値段で30万ちょっとくらいでした。 初めの頃は「N88BASIC」や「Turbo C」などを会社でコピーしてもらって勉強してました。 その他「QuickBASIC」や「Visual Basic」なども購入して勉強しました。 その後,次第にゲームもやるようになりました。 ゲームをやったりプログラムを勉強したり交互にしてました。

栃木の家に帰ってきてからも同様でしたがゲームは必ず月に1本は購入してました。 それとパソコン関連の本も購入して読んでいました。 2年くらい過ぎるとゲームが1mくらいと本が本棚2段分くらいになってました。

製品の発送部署に移動になった時には「発送料金集計ソフト」を「MS-Access」で作成しました。 「MS-Access」は,素晴らしいデータベース言語ですがたまに作成したソフトウェアが壊れるという問題がありました。 最近のアクセスは,改善されているかもしれません。 改善されている場合は「データを扱うソフト」は,アクセスで作成するべきだと思われます。

その後,97年くらいになると会社でインターネットを利用する事になり,パソコンの接続や説明をするPCサービス委員に任命されました。 パソコンを接続してやって分からない箇所を説明してやっていましたが説明が面倒なので社内サイトを作る事にしました。 このサイトは「USKの海賊版」と命名しました。 このサイトは,テレビのドラマで使用される事になったのですが部署の人は誰も見てくれなかったです。

その他,CGIを駆使して「顧客住所録サイト」と「作業報告書WEB版データベース」を作成しました。 完成したちょっと後に首を宣告されたので頭にきて全て削除して退職しました。

今は,パソコンの本も買わなくなって動向が全く分からなくなりました。 それなりのノートパソコンを購入してブラウザゲームやスマホゲーム,PCゲームなどを楽しむくらいです。 最近久しぶりにPCゲームの「A列車で行こう9」を購入したのですが昔,遊んだ「A列車で行こうⅢ」が懐かしいです。


◇◇◇ 子供の頃の話  01.27追加 ◇◇◇


幼い頃は,かなりボサーとしていて知恵遅れのような感じでした。 訪問してくる大人には「下のクラスだから馬鹿なんだ」とか「見世物にでもしたらいい」と言われてました。 5才くらいの時に祖父に問題を出されて頭がシャキッとしました。 祖父の話によると「カラークラスが上の方の人は,一度,重要案件に遭遇しないと覚醒しない」とのことでした。 問題に答えたところ,馬鹿でないことが分かってタイプ的に「専門家」であることも発覚しました。

小学生の頃によく知らない小学生とアニメの話になった時に相手は,詳しく覚えていたのですが私は,あまり覚えてなくて嫌な思いをしたことがあります。 私は,カラークラスが上の方だったので細かい事に反応しない人らしいです。 因みにこのエピソードは,ない方がストレスにならないのですがないとカラークラスについて理解できないらしいです。 また,カラークラスについては,小学1年生の初めの頃に習ったはずですがあまりにも幼かったのでそれは,通常,記憶されないらしいです。


◇◇◇ 社交クラスがあるかも? ◇◇◇


私が高校3年生の時でした。 校内球技大会があってそれぞれの種目の選手を決める時のことです。 基本的に自分で名乗り出るというやり方だったのですが私は不満がありました。 というのもメンバーが気に入りませんでした。 私は,卓球を選択したのですがメンバーは弱そうなメンバーになってしまいました。 いつもの上手い人もいたのですがその人以外に上手い人も二人ほど知っていたからです。 学級委員長に少し待ってもらう約束をしてもらって上手い二人を説得しました。 どちらもOKでかなり強いチームができました。 結果は,優勝でした。 気が付いてみると私の社交性の勝利だったようです。 私は,下のクラスだったのですが比較的多くの人と交友があったようです。 もしかしたら「社交クラス」というものがあるかもしれません。


◇◇◇ エピソード ◇◇◇


・流木はよくあるのか?

あるインテリアの仕事をしている女性Sさんと知り合いました。 ある時,Sさんは,流木をモチーフにしたインテリアを発案してまず自分の部屋に飾りました。 それを見た私は「よくあるヤツね」と発言しました。 インテリアは,アイデア系なので「よくあるヤツ」では困るわけです。 また,Sさんが発案したオリジナルで同じものはありません。 Sさんは,怒ってしまいました。

それを天才児のTさんが聞きつけて「前にも似たようなことあった」「その発言は,サザンオールスターズの名曲『いとしのエリー』の時と同じ」とコメントしました。 更に「それは,大ヒットした名曲レベルなので売り出せば...」と提案しました。 その提案は,しっかりヒットしてかなりの利益になったらしいです。

・IQを聞かれたら?

稀に頭の調子が悪くなってボケる場合があります。 その時もボケていたらしいですが...

ある人にIQを聞かれたので「上は160,下は80」と答えました。

・ポッキーオンザロックで笑えなかった件

昔,ポッキーで酒をかき混ぜることが流行ったことがありました。 ある飲み屋に行った時にお姉さんが酒をつくってくれてポッキーでかき混ぜてました。 そのお姉さんがかなりダサい人らしく,流行りに乗ってポッキーでやってくれても「なんだかな~」と思いました。 サマにならなかったわけですが後にその話を職場の同僚に話したらオーナーを知っていて話したらしいです。 オーナーの話によると「わざとやらせている」と言っていたらしいです。 つまり,雇っているのも「ジョーク」でポッキーも「ジョーク」なのだそうです。 それを見た時に笑えなかった自分は,ちょっと愚か者でした。 尚,本人が見てないことを祈るばかりです。

・壁ドンが分からなかった件

初めて「壁ドン」と聞いた時に妖怪の「塗り壁ドン」のことかと思いました。 私に「壁ドン」は,通じません(笑)

・「やってる」って電話がかかってくる件

中学時代に私が通っていた学校の名前が都会の中学と同じ名前だったので連絡してみようということになりました。 私が手紙を書くと二人の生徒が派遣されてきました。 そこで学校を案内しながら話したのですがセックスの話になり,電話番号を聞かれました。 帰った後に誰かと経験したらしく「やってる」と電話がかかってくるようになりました。 更に芸能人(さんまさんなど)を紹介されたらしく番組で暗に言われていたこともあったようです。


◇◇◇ 私のキャパシティ ◇◇◇


見た目のクラス  :下から3つ目(最下層の一番上のクラス)
IQ       :上知の上 150(旧IQ)
スポーツクラス  :(たぶん)0回
根性クラス    :(たぶん)下の方
音楽クラス    :クイーンクラス(中くらい)
音楽センス    :日比谷公会堂クラス(またはいとしのエリー)
カラークラス   :青/青(入力/出力:現在は不明)
ファッションクラス:上から3番目
管理範囲     :世界級
ジョブ      :最上級の資産家(ジャッジメント)
性質       :中クラスの警察官
ポリシー     :中クラスの美学
外見       :(若い頃は)ハリー・ポッター似
最終学歴     :栃木県立宇都宮工業高等学校 精密機械科

【取扱注意】

まず経営タイプ(ジョブタイプ)ですが資産家なので相談された場合は「記憶にあること」で対応します。 全くの新規の案件については,対応不可能です。 困っている「全く新しい」事案があってそれを解決するアイデアが欲しい場合は,別の人に相談した方がいいでしょう。 それに対しては「実業家」または「起業家」が適切だと考えます。

IQ的には,150(旧IQ)あるのでそれなりに対応できますが150レベルの人なら社内を探すなり,近所を探すなりすれば見つかると思います。 わざわざ栃木の田舎まで来て質問するだけの意味はないと考えます。 また,質問が曖昧過ぎて意味が分からないのでキチンとした回答をできない場合が多いです。 あまりにも能力不足の場合は,経営補佐が可能なレベルの人を雇用するか経営者交代の方が話が早いかもしれません。

インフルエンサーの能力については,条件が揃わないと発動しません。 また,インフルエンサーの能力は「何ができるか分からない」という性質があるので困っている事案がある場合は適切ではありません。 尚,現在は,カラークラスが下がったか条件と働きが変更になった可能性があるので過去の活躍は参考になりません。

「一番上としての役割を果たしてない」という意見がありますが私自身は「私が一番上」という発言をしてないので私には分かりません。 発言した人に「何かどう上なのか?」「どうゆう意味なのか?」を問い合わせて下さい。 また,幼少の時に大人の世界の話をされても全く理解できないので次に生まれてきた時は止めて欲しいです。 全ての人に言えることですが脳味噌に全ての記憶がセットされた状態で生まれてくるわけではありません。 現在は,大人になりましたがもっと優秀で経験豊富な人に質問した方が良い答えが返ってくると思います。

大きなグループ企業があって私がそこの総帥という説がありますがその場合も本社所長がいると思います。 私は,持ち主であって経営責任者ではありません。 本社所長が一番上の責任者になります。 全て任せてある状況なのでそちらの指示に従って下さい。 また(よく分かってませんが)現在は,総帥ではない可能性もあります。

普通に考えると各企業のトップは,軽く問題を解決して更に利益になるような案件に積極的に取り組むのではないかと考えます。 つまり,各企業のトップが他人に聞かなくては問題を解決できない状態はそもそも論外になります。 通常,企業は,10~20年で倒産してトップは借金を抱えて一線から退くことになるので優秀な人を就任させると多大なる損失になりますが雇われ社長の場合は別になります。

尚,野心が強い人や儲け主義の人は,苦手になってます。


幼い頃に知らない大人の人が訪ねて来るので「嫌なんだけど」と発言したら(魔法で)間違っている情報を言わされることになりました。 間違っていれば訪ねて来ないと考えたのだと思いますがそれでも止まらず,間違ったことを言わされることもストレスになるし大変でした。 尚,現在は,私を訪ねてくるとタイムリープして過去の私に会うことになります。



◇◇◇ 最後に ◇◇◇

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