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開設日:2019年04月27日
更新日:2024年09月27日
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◇◇◇ はじめに ◇◇◇

大した者ではありませんがプロフィールのページを作ってみました。 よかったら読んで下さい。

◇◇◇ 勉強と成績について ◇◇◇


小学校の低学年の頃は,あまり良くなかったです。 中学まで7の段ができませんでした。 あと右と左は,高校生になった頃も間違えていました。 低学年の勉強が簡単過ぎるので舐めていて結局,覚えないで分からなくなるという...

高学年の頃は,テストの出来が良かったです。 周りの人と比べても良く出来ていた方です。 IQ160の人と良くテストの点数をくらべっこしてました。 少し負ける程度でした。

中学では,テストの成績が発表されます。 初めての中間テストで学年10位以内に入って自分が結構,頭良い事に気が付きました。 姉がいたのですが姉は,真面目でテスト前になるとかなり勉強してたので一応,真似してテスト勉強するようになりました。 成績は,ちょっと波があって7~15位をいったりきたりでした。 後から知ったのですが私の通っていた中学の私達の学年は,頭の良い人が極端に多いので10位以内に入るのが難しいのだそうです。 高校の時に同じクラスになったIQ150の人に勝った事があるのですがその人は,隣町の中学で一番だったそうです。 つまり,町が一つ違ったら私も一番になれた可能性があるという事になります。

高校は,工業高校に進学しました。 テレビドラマの金八先生で「資格を持っていると食いっぱぐれない」と放送していたので資格をとろうと思いました。 取れる資格は,ほとんど取りました。 でも中間と期末のテスト勉強は,ほとんどしませんでした。 一度だけ本気で勉強した事がありますがクラスで4番になりました。 そのクラスも頭の良い人が多かったようです。


◇◇◇ 仕事について ◇◇◇


仕事は,計測器メーカーに就職できました。 会社では,自動車やバイクの燃費を計測する燃費計の検出部の製造を任されました。 会社の計測器は,基本的に表示部と検出部に分かれていて表示部は,電気系のユニットの調整なので電気・電子科卒の人で検出部は,機械の組立と校正(調整)なので機械科卒の人が任されてました。 電気系の表示部と機械系の検出部を接続してはじめて計測器として機能するというわけです。

私の部署は,機械系の部署だったのですが後に電気系の表示部の調整もする事になりました。 電気系の部署に修行に行き,いろいろ教えてもらって製品の移管をしました。 調整は,簡単だったのですぐに出来るようになりました。 電子回路の修理もあまり難しくなかったのでマスターするまでにあまり時間はかかりませんでした。

その後,東京の技術センターの燃費計の部署でディーゼルポンプの噴射量測定器の立ち上げと調整に人手が欲しかったのでお呼びがかかりました。 相当忙しくて始めの2週は22時頃まで。次の週は2時頃まで。最後の週は4~5時頃まででホテルに帰らずに会社の食堂の椅子を並べて仮眠してました。 1ヶ月で190時間くらい残業しました。 疲れが溜まっている時にほとんど徹夜はきつかったです。 特に最後の週は,1週間に8時間しか寝て無かったです。

その後,東京の技術センターに出向する事になりました。 作業は,噴射量計の電子ユニットの立ち上げと検出部の組立・校正でした。 一つだけ電子ユニットの設計を任された事がありましたが修理と違って設計は,難しかったです。 川崎市に部屋を借りて初めての1人暮らしを経験しました。 1人暮らしというのは,部屋に帰っても誰も居ないのですね。 仕事では,名古屋によく製品の納品に行きました。 1週間くらい部屋に帰れない事もよくありました。 東京は,徹夜も普通にあって出張でなくても一晩くらい帰れない事もありましたが充実してました。 2年で帰ってきました。

その後,流量計から卒業を言い渡されて以前,修行に行った部署に配属になりました。 そこで電子ユニットの調整と修理をしました。 電子回路は,慣れたものです。 部署のみんなともある程度,仲良くやっていました。

たぶん,ちょっとした手違いなのだと思いますが更に別の部署に飛ばされる事になりました。 発送の梱包の仕事でした。 何故なのかわかりませんでしたがやるだけやってみました。 そこでは,部署で使うソフトウェアを作りました。 パソコンは,23歳の時からやっていましたがそれが役に立ちました。 また「MS-Access」も覚えました。

発送の仕事を見ていたある部署の課長がある時「うちに来ないか?」と言ってくれました。 「行きたい」と答えた数日後に移動が決まりました。 そこは,基板のパターンを印刷(または露光)する機械を造っている部署でした。 移動になって少し経った頃に新製品の電気回りの担当になりました。 値段を聞いたら約5千万円と教えてくれました。 私は,電気回りの立ち上げを担当しました。 また,国内の基板メーカーのある場所に納品や修理のためよく出張に行きました。 後半は,修理担当になってました。 まあ,失敗もありましたが内緒です。




基板は,表面に部品が載っていて裏面に電気の通り道が銅箔で描かれています。 この銅箔のパターンが電子回路になるわけです。

移動になって少し経ってから会社でインターネットを利用する事になりました。 パソコンに詳しいのでPCサービス委員に選ばれて接続と説明をしました。 その時に大勢に説明する事が面倒なので社内ホームページを作り立ち上げました。 社外の人も見たいという人がいたのでジオシティーズにもアップロードして見られるようにしました。 なかなか好評のようでした。 因みに私が作ったサイトは,テレビのドラマでも使われたのですね。 驚きでした。

その後,理由が分かりませんが首になり,いくつかの会社を転々としてどこも1年くらいで首になりました。 その後,うつ病が悪化して現在に至ります。


◇◇◇ 音楽について ◇◇◇


小学校から中学2年生までは,普通でした。 中学3年生の時に受験勉強の合間にFMで「QUEEN」を聞いてしびれました。 音楽は,一度,ぴったり合うレベルの音楽を聴くと好きになるらしいですが私の場合は「QUEEN」だったようです。 少ない小遣いで外国のロックバンドのレコードを聞きまくりました。 その当時は,レコードなのですね。 今も家の棚に飾ってあります。 友達に録音してもらった「Ozzy Osbourne」も好きになりました。

高校生の頃は,ギターにハマリました。 初めは,安いフォークギターを買って歌謡曲を練習しました。 その後,ゴルフ場でキャディーのバイトでお金を貯めて半年位した頃にエレキギター(ストラトキャスター)を買いました。 「Deep Purple」や「Michael Schenker」などをコピーしました。 ただ,基本的に下手で人に聞かせるほどではないので練習のみでした。 楽譜そのままでは読めなくてタブ譜を見ながら弾いていました。

日本で活躍している人では,サザンオールスターズの桑田佳祐さんも昔から好きです。 サザンオールスターズは,確か私が中学1~2年くらいの頃にデビューしたのだと思います。 小学高学年の頃には,ピンクレディーやキャンディーズなども流行っていました。 松田聖子さんは,中学生の頃にデビューしたのだと思います。 初めの曲は,元気に歌う曲で「青い珊瑚礁」でした。 2曲目は,元気に歌う「青い珊瑚礁」という曲で印象的でした。 でも私は,聖子ちゃんより明菜ちゃん派でした。

カラオケも好きです。 日本のあらゆるポップスを歌います。 但し,下手なのでジャイアン状態で迷惑かもしれないので最近は控えてます。

最近は,AKB48などを良く聴いてます。


◇◇◇ スポーツについて ◇◇◇


はっきり言って運動音痴です。 特に1000m走は,遅くて最後尾になる事が多かったです。 なので体育は,大嫌いでした。 ほとんどのスポーツが走力が大切なので全滅に近いです。 ただ,球技は,何故か?人並みに出来ていました。

中学の部活は,剣道をやってました。 本当は,卓球をやりたかったのですがクラスメートに「剣道が合っていると思う」と言われたのでやってみる事にしましたが下手だったので完全に無責任な発言だったと思います。

高校には,クラブ活動の時間があったので卓球を選択しました。 1年の時は,先輩らが完全に台を占領していて出来ませんでしたが3年になると練習できました。 中学時代に卓球部だった人が取れないサーブをあみだしました。 校内球技大会も卓球を選択して選手で出場したのですが団体戦で私だけ負けてしまいました。 団体としては,優勝だったので良かったのですが単に足を引っ張っただけに終わりました。 結局,運動音痴でした。

社会人になってからは,運動音痴だった事をすっかり忘れていくつかの競技を楽しんでみました。 姉がテニスを始めたので私も付き合いでやってみました。 因みに会社には,テニスコートがあったのでたまにやってみました。 一応,テニス部に所属していて合宿という名の飲み会に参加したりしましたがしっかり素振りをやらないと上手くならないようです。

あと,先輩に誘われてスキーもやりました。 冬になると月に2~3回のペースで行ってましたが結局,絶壁は制覇できませんでした。 下の方のなだらかなコースならパラレルもウェーデルンもできるようにはなりました。

90年代始め頃にサッカーのJリーグが始まりました。 それに乗っかる様に会社にもサッカーチームができました。 小学生の時に部活でサッカーをやっていたので興味があり,参加しましたがサッカーって走る競技なんですよね。 上手くできるはずがありませんでした。 その後,強いチームと戦ってチームは,バラバラになり終焉を迎えました。


◇◇◇ 自動車について ◇◇◇


自動車は,高校3年の夏に普通自動車運転免許証を取りました。 会社に入った時に車で出社したかったのですがお金の問題で断念しました。 とりあえず,1年くらい列車で通って頭金を貯めてから購入する事にしました。 1年だとかなり貯まるので残りのローンは,緩めでした。 初めての車は「カローラレビン(AE86後期型)」で新車でした。

購入してから1ヶ月位経った頃に事故を起こしました。 単独事故でした。 コーナーの中央付近が前日の雨で濡れていて後輪がスリップしてカウンターが間に合わず,土手に乗り上げて横転しました。 あわてて外に出ようとしたのですがドアが空きませんでした。 良く見ると運転席側が下になっていました。 助手席側のドアを上に押し上げてなんとか脱出しました。 後から来た人達に車を倒してもらいましたが運転席側がベッコリいってました。 修理代は,50万円ほどで車両保険でやってもらいました。

2回目は,祭りの日に会場の前を走っていたら突然,軽自動車にぶつかりました。 その道路は,駐車場になっていたのです。 おまけに街灯の明かりが照らしている箇所がくっきりと明るいタイプでした。 その先の暗い箇所に軽自動車が停まっていたので明るい箇所に入ると光の加減で全く見えなかったというわけです。 軽自動車は,廃車で私の車はフロントが滅茶苦茶でした。 修理代の50万円と軽自動車代金を保険で支払いました。

かなりボロボロでしたがまだ走れるので乗ってました。 ある時,夜にドライブしていたらなんとなく「日光のいろは坂に行こう!」と思いました。 その当時は,いろは坂が走り屋のメッカだと知らなかったのですがなんとなく行ってみました。 かなりの台数,走りに来てました。 夜の峠は,ちょっと怖い雰囲気がありました。 いろは坂は,上り下りともに一方通行で特に上りは道幅が広く大きくアウトインアウトで走れるのですね。 慣れている人は,低速コーナーが連続する下りでドリフトを決めるのですね。 初めの頃は,2週に1回くらいでしたが次第に毎週末の日課になりました。 初めの頃は,遅かったのですがそれなりに走れるようになりました。 その後,東京に出向になり妹に車を預けてたのですが事故で廃車にされました。

次の車は「2代目CR-X」でした。 黒でかなり流行っていた車種で中古で購入しました。 FFなのですがコーナーリングの途中でアクセルを緩めると簡単に後輪がブレークして楽しい車でした。 ただ,高速では怖くて出来ませんでした。 それが出来るとまた一段と皮がむけるのですが。 いろは坂でも使えたのですが年齢が年齢なのでほとんど行きませんでした。 1回だけジムカーナの大会に参加した事があります。 結果は,4位でまあまあでした。 通勤で片道約35km乗るので7年くらいしか持ちませんでした。

次の車は「セリカ GT-FOUR」でした。 中古車屋で見せてもらって気に入りました。 3ナンバーだったのですがその頃は,税金が安くなっていたので購入する事にしました。 自宅付近は,冬になると雪が降る事があるので4WDは心強かったです。 この車も結局,7年くらいしか持ちませんでした。 最後は,冷却水が洩れて古い型なので部品がなくて修理不能で廃車になりました。

今は,軽自動車で大人しく走ってます(以前は「ミニカ」今は「ムーブ」です)


◇◇◇ パソコンとゲームについて ◇◇◇


ゲームと出会ったのは,小学生の頃で友達の「ゲームウォッチ」をやらせてもらいました。 「ゲームウォッチ」は,ゲームボーイの御先祖様に当たる機種になります。 持ち運びが可能なハンディタイプでソフトとハードが一体化されていて5000円くらいでした。 友達は,飽きたらしく私が買い取りました。

家庭用ゲーム機は,その後の時代に友達の家へ行ったら「ファミリーコンピューター」以前の機種がありました。 ネットで検索しても同型機がヒットしないので相当,マイナーな機種だったのだと思います。 その後「インベーダーゲーム」が流行りました。 中学1年生の頃でした。 家が商店だったので「インベーダーゲーム」を勧められて店に置く事になりましたがほとんど儲けがなかったので早目に引き上げてもらいました。 その後,高校生になった頃にパソコンブームがあり,友達の家に遊びに行ったらパソコンが置いてあってゲームをやらせてもらいました。 アドベンチャーゲームだったと思います。

本格的にゲームをやるようになったのは,87年頃からだと思います。 会社の売り上げが好調で社員全員が会社からプレゼントを貰える事になりました。 いくつか選べたのですが私は「ファミリーコンピューター」を選びました。 ソフトは,自分で購入しました。 「スーパーマリオブラザーズ」や「ドラゴンクエストⅢ」などをやりました。 特に「ドラクエⅢ」は,夢中で遊びました。 「もうちょっと,もうちょっと」とやってしまって朝の4時頃になってしまって次の日の仕事が辛かった事があります。 その後,ゲーム機は「スーパーファミコン」や「セガ サターン」「プレステ2」などを購入して遊んでいましたが「プレステ2」が壊れてしまってからはゲーム機を買っていません。

初代のパソコンは,90年頃に購入しました。 東京に出向に行っていた頃にプログラムを勉強しようと思い,秋葉原でNECのPC9801EXを購入しました。 あの頃は,結構な値段で30万ちょっとくらいでした。 初めの頃は「N88BASIC」や「Turbo C」などを会社でコピーしてもらって勉強してました。 その他「QuickBASIC」や「Visual Basic」なども購入して勉強しました。 その後,次第にゲームもやるようになりました。 ゲームをやったりプログラムを勉強したり交互にしてました。

栃木の家に帰ってきてからも同様でしたがゲームは必ず月に1本は購入してました。 それとパソコン関連の本も購入して読んでいました。 2年くらい過ぎるとゲームが1mくらいと本が本棚2段分くらいになってました。

製品の発送部署に移動になった時には「発送料金集計ソフト」を「MS-Access」で作成しました。 「MS-Access」は,素晴らしいデータベース言語ですがたまに作成したソフトウェアが壊れるという問題がありました。 最近のアクセスは,改善されているかもしれません。 改善されている場合は「データを扱うソフト」は,アクセスで作成するべきだと思われます。

その後,97年くらいになると会社でインターネットを利用する事になり,パソコンの接続や説明をするPCサービス委員に任命されました。 パソコンを接続してやって分からない箇所を説明してやっていましたが説明が面倒なので社内サイトを作る事にしました。 このサイトは「USKの海賊版」と命名しました。 このサイトは,テレビのドラマで使用される事になったのですが部署の人は誰も見てくれなかったです。

その他,CGIを駆使して「顧客住所録サイト」と「作業報告書WEB版データベース」を作成しました。 完成したちょっと後に首を宣告されたので頭にきて全て削除して退職しました。

今は,パソコンの本も買わなくなって動向が全く分からなくなりました。 それなりのノートパソコンを購入してブラウザゲームやスマホゲーム,PCゲームなどを楽しむくらいです。 最近久しぶりにPCゲームの「A列車で行こう9」を購入したのですが昔,遊んだ「A列車で行こうⅢ」が懐かしいです。


◇◇◇ バブル世代と言われるけど... ◇◇◇


丁度,バブル世代なのですが土地も持ってないし,株を買うお金も無かったです。 貯金は,だいたい,車の購入で無くなりました。 初めの会社に入った頃に「バブル」だったわけですが入社したばかりだとお金がないので株も買えませんでした。 ある程度,貯金が貯まった頃には「バブル」が終わっていました。 その頃は,ほとんどの人が車を買う為に働いているようなもので同級生は,いい車に乗っていました(私は,ちょっと安い車でした) 華やかだったのは,土地が高値で売れた東京に土地を持っていた人達だと思います。 私には「バブル」は,無縁でただ単に会社に行って働いていただけでした。 仕事は「残業」が多かったので少しは,お金になりました。 但し,その頃は,給料自体が安ったのであまり豊ではありませんでした。

私が勤務していた会社で株をやっていた人は「儲かった」という話もありましたが私の会社の株は,私が入社した頃には,下がっていたので私には,無関係でした。

その後,90年代中頃になると残業も無くなって00年以降は,派遣の仕事くらいしか無くなりました。


◇◇◇ 子供の頃の話 ◇◇◇


幼い頃は,かなりボサーとしていて知恵遅れのような感じでした。 訪問してくる大人には「下のクラスだから馬鹿なんだ」とか「見世物にでもしたらいい」と言われてました。 5才くらいの時に祖父に問題を出されて頭がシャキッとしました。 祖父の話によると「カラークラスが上の方の人は,一度,重要案件に遭遇しないと覚醒しない」とのことでした。 問題に答えたところ,馬鹿でないことが分かってタイプ的に「専門家」であることも発覚しました。

小学生の頃によく知らない小学生とアニメの話になった時に相手は,詳しく覚えていたのですが私は,あまり覚えてなくて嫌な思いをしたことがあります。 私は,カラークラスが上の方だったので細かい事に反応しない人らしいです。 因みにこのエピソードは,ない方がストレスにならないのですがないとカラークラスについて理解できないらしいです。 また,カラークラスについては,小学1年生の初めの頃に習ったはずですがあまりにも幼かったのでそれは,通常,記憶されないらしいです。


◇◇◇ 古の話 ◇◇◇


人間は,それぞれ1000年毎に同じ人が生まれてきます。 私の場合も同じで1000年前,2000年前,さらにその1000年前に同じ人が存在していたわけです。 私の場合は,前に生まれた場所もある程度,分かります。

  1000年前 ある発展途上の島~欧州に移動
  2000年前 ローマ市
  3000年前 中国
  4000年前 エジプト
  5000年前 アマゾン
  6000年前 インカ帝国

になってます。

1000年前の欧州では「パソコン」「ゲーム」などを提案しました。 2000年前のローマでは「水道」や「お風呂」などです。 「お風呂」については,4000年前の「プール」を元にしたらしいので間接的に関わったことになります。 3000年前の中国では「研究所」を提案しました。 4000年前のエジプトでは「船」だったらしいです。 「船」については,海に連れていかれた時に「水の上を行く物は,ないですか?」と言ったらしいです。 それをヒントに技術者が「船」を製作したらしいです。 その前から「丸太船」は,あったと思われますが本格的に製作されたのはエジプトが初めてだったらしいです。

5000年前のアマゾンでは,ジャングルの中に水路を掘ったり,獲物が水を飲みにくることに気が付きました。 仲間は,馬鹿だったらしく「それじゃ全滅する」として秘密にしました。 頭の良い人(たぶんテッケンさん)に知らせたら「コントロールする」ということが提案されました。 また,食べられる虫を調査して食糧の足しにすることも提案されました。 つまり,獲物をあまり狩らなくても暮らしていけるよう工夫されました。 因みに水路は,ローマ時代もやったらしいです。

6000年前の初期のインカ帝国では,星の動きの観察を任されてカレンダーの元ネタを作りました。 また,かなり前から「弓矢」を提案して狩りの方法を進化させました。 更にゾンビ算も考案しました。

更に前になりますが「剣」も作らされましたが仲間に溶けた鉄の形成を手でやらされたので片手がなくなりました。 頭にきて仲間のほとんどを火山に投げ入れて殺害したらしいです。


◇◇◇ 社交クラスがあるかも? ◇◇◇


私が高校3年生の時でした。 校内球技大会があってそれぞれの種目の選手を決める時のことです。 基本的に自分で名乗り出るというやり方だったのですが私は不満がありました。 というのもメンバーが気に入りませんでした。 私は,卓球を選択したのですがメンバーは弱そうなメンバーになってしまいました。 いつもの上手い人もいたのですがその人以外に上手い人も二人ほど知っていたからです。 学級委員長に少し待ってもらう約束をしてもらって上手い二人を説得しました。 どちらもOKでかなり強いチームができました。 結果は,優勝でした。 気が付いてみると私の社交性の勝利だったようです。 私は,下のクラスだったのですが比較的多くの人と交友があったようです。 もしかしたら「社交クラス」というものがあるかもしれません。


◇◇◇ エピソード ◇◇◇


・流木はよくあるのか?

あるインテリアの仕事をしている女性Sさんと知り合いました。 ある時,Sさんは,流木をモチーフにしたインテリアを発案してまず自分の部屋に飾りました。 それを見た私は「よくあるヤツね」と発言しました。 インテリアは,アイデア系なので「よくあるヤツ」では困るわけです。 また,Sさんが発案したオリジナルで同じものはありません。 Sさんは,怒ってしまいました。

それを天才児のTさんが聞きつけて「前にも似たようなことあった」「その発言は,サザンオールスターズの名曲『いとしのエリー』の時と同じ」とコメントしました。 更に「それは,大ヒットした名曲レベルなので売り出せば...」と提案しました。 その提案は,しっかりヒットしてかなりの利益になったらしいです。

・IQを聞かれたら?

稀に頭の調子が悪くなってボケる場合があります。 その時もボケていたらしいですが...

ある人にIQを聞かれたので「上は160,下は80」と答えました。

・ポッキーオンザロックで笑えなかった件

昔,ポッキーで酒をかき混ぜることが流行ったことがありました。 ある飲み屋に行った時にお姉さんが酒をつくってくれてポッキーでかき混ぜてました。 そのお姉さんがかなりダサい人らしく,流行りに乗ってポッキーでやってくれても「なんだかな~」と思いました。 サマにならなかったわけですが後にその話を職場の同僚に話したらオーナーを知っていて話したらしいです。 オーナーの話によると「わざとやらせている」と言っていたらしいです。 つまり,雇っているのも「ジョーク」でポッキーも「ジョーク」なのだそうです。 それを見た時に笑えなかった自分は,ちょっと愚か者でした。 尚,本人が見てないことを祈るばかりです。

・壁ドンが分からなかった件

初めて「壁ドン」と聞いた時に妖怪の「塗り壁ドン」のことかと思いました。 私に「壁ドン」は,通じません(笑)

・「やってる」って電話がかかってくる件

中学時代に私が通っていた学校の名前が都会の中学と同じ名前だったので連絡してみようということになりました。 私が手紙を書くと二人の生徒が派遣されてきました。 そこで学校を案内しながら話したのですがセックスの話になり,電話番号を聞かれました。 帰った後に誰かと経験したらしく「やってる」と電話がかかってくるようになりました。 更に芸能人(さんまさんなど)を紹介されたらしく番組で暗に言われていたこともあったようです。

・大人は何を視るのか?

私の姪が盲腸で入院したので見舞いに行った時のことです。 談話室に子供がアニメを視るためのテレビがありました。 病室にあるテレビだと有料で長期入院の場合だとかなりお金がかかるからだと思いました。 それを点けて視ていたら子供達が来てすぐに帰っていきました。 私は「難しい顔してたかな?まずかったな」と考えていたら直後に看護婦さんが来て「このテレビは,子供が視るためにあるんです」ときつく注意されました。 張り紙があったので理解していたので「大丈夫ですよ」と言ったら「大丈夫じゃないです!!」と怒られました。 しばらくそうゆう押し問答をしていたら帰っていって婦長さんに言ったらしく,子供達に「大丈夫なおじさん」と説明してくれたらしく,子供達が再度,やってきました。 アニメのビデオを視始めたので「ジブリじゃないんかい!」と小さな声で突っ込んだら聞こえららしく,再度,帰っていきました。 後で知ったのですが子供達のリーダーは,気を遣うタイプで私に気を遣って帰っていって「お小遣いを貯めてジブリのビデオを買う」と言っていたらしいです。 帰り際に婦長さんが「子供達がアニメを視るのを楽しみにしているんですよね」と言ってきたので私は「そんなお金ありません」とやんわりとお断りました。 ちょっとおませさんですが立派なお子様の話でした。

・意味ないやんか~

小学1年生の初めの頃のホームルームの時間に先生が「ランドセル,重くないですか?」と言って一人一人,チェックが始まりました。 私は「重い」と思ったので「重いです」と発言したら先生が重さをチェックして「そのくらい,我慢しないさい」と言ってきました。 私は「それじゃ意味ない!!」と思いました。 このチェックの意味が今でも分かりません。


◇◇◇ 私のキャパシティ ◇◇◇


誕生年      :1966年(昭和41年)午年
精神年齢     :38歳(自己申告)
見た目のクラス  :下から3つ目(最下層の中の一番上のクラス)
IQ       :推定165(旧IQ),135(日本の新IQ),125(世界IQ)
スポーツクラス  :(たぶん)0回
根性クラス    :(たぶん)下の方
音楽クラス    :クイーンクラス(中くらい)
音楽センス    :日比谷公会堂クラス(またはいとしのエリー)
カラークラス   :青/青(入力/出力:現在は不明)
ファッションクラス:上から3番目
管理範囲     :世界級
ジョブ      :最上級の資産家(ジャッジメント)
性質       :中クラスの警察官
ポリシー     :中クラスの美学
容姿       :(若い頃は)ハリー・ポッター似
主義       :平和主義
政党派閥     :中道右派
経済派閥     :新古典派
最終学歴     :栃木県立宇都宮工業高等学校 精密機械科
趣味       :ゲーム,アニメ&コミック,映画&ドラマ,パソコン(WEBサイト作成)
好きなコミック  :「キングダム」「転生したらスライムだった件」「鬼滅の刃」
         :「俺だけ入れる隠しダンジョン」「異世界でも鍵屋さん」など
         :フィギュアは,アニメの顔とちょっと違うのであまり好きではなかったのですが
         :「キングダム」の「王騎」で理解できました → リンク
         :あれなら欲しいのですが高いので無理。置き場所もないし。。。
【取扱注意】

まず経営タイプ(ジョブタイプ)ですが資産家なので相談された場合は「記憶にあること」で対応します。 全くの新規の案件については,対応不可です。 困っている「全く新しい事案」があってそれを解決するアイデアが欲しい場合は「実業家」または「起業家」が適切なのでそちらに相談して下さい。

IQ的には,150(旧IQ)あるのでそれなりに対応できますが150レベルの人なら社内を探すなり,近所を探すなりすれば見つかると思います。 わざわざ栃木の田舎まで来て質問するだけの意味はないと考えます。 また,質問が曖昧過ぎて意味が分からないのでキチンとした回答をできない場合が多いです。 キチンと詳しく要点をしっかり抑えて話してもらわないと分かりません(というかそれでもあまり分からないが) (相談する側が)それらが不可の場合は,能力不足が考えられるので経営補佐が可能なレベルの人を雇用するか経営者交代の方が話が早いかもしれません。

インフルエンサーの能力については,条件が揃わないと発動しません。 また,インフルエンサーの能力は「何ができるか分からない」という性質があるので困っている事案がある場合は適切ではありません。 いずれにしてもインフルエンサーは,相談側の人がかなり優秀な場合に(相談した人が)有効なアイデアを思いつくという特殊能力なので「どうしたらいいか分からない」というレベルの人に相談されても上手く発動しません。 尚,現在は,カラークラスが下がって能力が無くなったらしいので過去の活躍は参考になりません。

「一番上としての役割を果たしてない」という意見がありますが私自身は「私が一番上」という発言をしてないので私には分かりません。 発言した人に「何かどう上なのか?」「どうゆう意味なのか?」を問い合わせて下さい。 また,幼少の時に大人の世界の話をされても全く理解できないので次に生まれてきた時は止めて欲しいです。 全ての人に言えることですが脳味噌に全ての情報がセットされた状態で生まれてくるわけではありません。 現在は,大人になりましたがもっと優秀で経験豊富な人に質問した方が良い答えが返ってくると思います。

大きなグループ企業があって私がそこの総帥という説がありますがその場合も本社所長がいると思います。 私は,持ち主であって経営責任者ではありません。 本社所長が一番上の責任者になります。 全て任せてある状況なのでそちらの指示に従って下さい。 また(よく分かってませんが)現在は,総帥ではない可能性もあります。

普通に考えると各企業のトップは,軽く問題を解決して更に利益になるような案件に積極的に取り組むのではないかと考えます。 つまり,各企業のトップが他人に聞かなくては問題を解決できない状態はそもそも論外になります。 通常,企業は,10~20年で倒産してトップは借金を抱えて一線から退くことになるので優秀な人を就任させると多大なる損失になりますが雇われ社長の場合は別になります

尚,野心が強い人や儲け主義の人は,苦手になってます。


私が「巨大グループの総帥(現在は,別の人)でお金持ち」というわけですがお金は,一切,もらってません(但し,特別の理由がある場合は,会社からお金が振り込まれることもあるかもしれません) なので自分で普通に働いて貯めたお金(現在は無職)と厚生年金で細々と暮らしてます。 派手な暮らしが出来る状態にありません。 私は,うつ病なので巨大グループの総帥という話も眉唾なのかもしれません。 尚,派手に遊んで名前を騙る人は,偽物になります。



幼い頃に知らない大人の人が訪ねて来るので「嫌なんだけど」と発言したら(魔法で)間違っている情報を言わされることになりました。 間違っていれば訪ねて来ないと考えたのだと思いますがそれでも止まらず,間違ったことを言わされることもストレスになるし大変でした。 尚,現在は,私を訪ねてくるとタイムリープして過去の私に会うことになります



若い頃に外国の人が訪ねてきてIQを聞かれたので「150(旧IQ)」と答えたのですが外国のスケールで「150」は大天才になります。 驚いているようなので「よく分からないけど...」と言ったのですが「人前に出るべきだ!!!」と頑なに言ってきました。 そして「人前に出る」という魔法をかけたらしいです。 その前に「間違えを言う」という魔法もかかっていたので「人前に出て出鱈目を言う」という仕様になって多大なる迷惑をかけることになりました 因みに「なんでも分かる」とか「政府の偉い人をやる」という発言も(他の人に)言わされました。



保育園の頃に偶然にきつねの施術をしてもらって真人間になったのですがその時にある存在に「IQが160くらい(旧IQ)」と聞かされました。 保育園で10までしか数えられなかったので数字とIQについて質問したらかなり上の方であることが判明しました。 私が「そんなに上でなくていい」と答えたら150に抑えられてその代わりに「インフルエンサー」になりました(現在は,解任されました) 但し,遺伝子は,160のままだったのでもうけた子供達は,頭のいい状態で生まれてきてくれました。 解任された直後は,あまり冴えなかったのですが今は,徐々に戻ったようです。 但し,160だった経験が少ないので同じランクの人と同等に活躍できるかどうか?は謎です。 また,幼少の頃に「五大老」であることも判明して「一般的な暮らしをしますか?」と聞かれたので「それでいいです」と答えて一般的な暮らしをすることになりました。


【政治派閥】 

左派は「左派:自国嫌いで全部駄目」で「中道左派:自国嫌いだが改善すればまあいいかな」
右派は「右派:自国好き」で「中道右派:自国好きなので悪いところは改善」

「左翼」または「右翼」とは,ヘルメット被って鉄パイプで殴り合いの闘争をしている「左派」または「右派」の過激派のことです。 「ネット右翼」は,造語(または右派への悪口)で闘争している過激派かどうかは不明でただの「右派」なのかもしれません。

右派:体制派。(日本国内の右派は)自国が「自由」と「民主主義」なのでそれを目指す。
   歴史や伝統を重んじる。
左派:反体制派。(日本国内の左派は)自国が「民主主義」なので社会主義や共産主義による独裁を目指す。
   歴史や伝統を変えようとしている。

* 自国が「社会主義」の場合は,右派は体制派なので「社会主義」を支持します。
* 「独裁駄目」というのは(日本国内の)右派(悪く書くと右翼)の考え方です。

右派:イデオロギーが自国と同じ国と仲良くする。
左派:イデオロギーが自国と異なる国と仲良くする。
中道右派:自国の安全と利益のために近隣諸国と仲良くする。
中道左派:遠くの国と仲良くする。

右派は,アメリカと(イデオロギーが)合うが距離的に中距離を好むのでちょっと「遠いかな?」と思っているらしい。 左派は,中国や北朝鮮と合うが距離的に「近すぎる」と思っているらしい。 中国や北朝鮮で(日本の為に)事業展開しているのは,意外にも「中道右派」だったりする。

右派は,まとめようとして左派は,それをぶち壊そうとします。 また,両極に近くなるにつれて予想や空想でものを言う傾向があります。

【経済派閥:新古典派】

現実にあることを元に体系化していく派閥らしいです。 なので「経済のページ」は,それ風になってます。 ヘルメットやビシバシ言われることが嫌いです。 ストレスが溜まって一気に発散する時期がありますが同時にボケるらしいです。

派閥によってお金と取引について考え方が異なるらしいです。
・古典派  :日本銀行または政府の信用があるのでお金が使えてると考えるらしいです。
・新古典派 :お金を信用して取引している。
・新派かな?:取引相手(企業など)を信用して取引していると考えるらしいです。


◇◇◇ 無責任な人達  09.27追加 ◇◇◇


中学生の頃に「タイヤ屋をやりたい」と言っている人がいて「タイヤは,減るものなので儲かる」と言ってました。 私は「どうなのかな?」と返事したら「儲かるに決まってるだろ!!」とキレぎみに言っているので「そうなんだ」と言いました。 それだけ言い切っているにも関わらず「責任とって欲しい」と言われました。

私に「責任だけとらせる」という噂が流れていたらしいです。 大人だったり,上のクラスだったりするのですがそれらの人は,自分の行動に責任と持たないで実行したかったということなので「無責任な人達」でした。


◇◇◇ ある日の出来事 ◇◇◇


私とテッケンさんは,前の前の時代では「一番下のクラス」でした。 「上のクラス=使える」という時代だったので「使えない」というレッテルを貼られていたのですがある時,それを覆す出来事があって「どうやら一番,上の人らしい」ということになりました。

ある時,ある大人の人が幼少の私を「試してやろう!」と思ってやってきたのですが私は,それを的確に言い当てました。 それについてその大人の人の知り合いに「読まれるようじゃ駄目だな」と言われたので「読まれないように」という魔法をかけて再度,やってきました。 私は「分からない」と答えましたがそれを聞いた別の大人の人が「一番上が分からなかったら問題だ。これがバレたら大変」と考えて私に「適当に答える」という魔法をかけました。

そしてやってきた人に適当に答えるようになりましたが問題が起きたので「そのまま」と答えるようにバージョンアップされました。

それらについて「問題がある」と考えた人がテッケンさんに相談したところ「何者かが魔法を使って混乱させている」ということが明るみになりました。 ほっといてもこんな感じなので途中で気が付きません。 普通にあることなので気が付かないわけです。

「誰が?」ということになって探したところ,私の嫁候補の人だったらしいです。 それを聞いた大勢は「迷惑になるカップルは,認めない」と呪いをかけました。 但し,嫁候補は,発言しただけで魔法をかける意志はありませんでした。 魔法使いが何も考えずに発言されたことをそのままかけたわけです。 これは,魔法を実際にかけた人に責任があることになるでしょう。

この魔法使い達は,後にかなり問題になりますが通常,気が付かないので責任を問われることがありません。


◇◇◇ とりあえず肯定します ~ 社交辞令が分からない??? ~  09.27追加 ◇◇◇


最近,発覚したのですが分けの分からない投稿がされたり,話の相手が何かを言い張っている場合は,とりあえず「そだね」と言います。 そうすると「肯定した人がいる」や「〇〇さんもそう言っていた」などの話になって大事になっていることがありました。 私の場合は,とりあえず「そだねそだね」と言っておくことがありますが肯定は,してませんので注意して下さい。 自分(私から見たら相手)が「わけの分からないことを言い張っている」というケースかもしれなのでもう一度,よく考えて下さい。

最近では「日本の人口が6000万人程度の時に幸せを感じていた」という投稿に「そだね」と言っておきました。 はっきり言って「知らね~よ そんなこと」といった感じです。 また「自分がそう思うんだからそうしろよ!」的な考え方は,乱暴な考え方だと思います。

あと相手がかなりボケた勘違いをかました時に訂正しないで「黙る」場合もあります。


◇◇◇ 言ったか言ってないか? ◇◇◇


過去に魔法で言わされたこともありますのでそれらの発言は,私の意見ではないので無効になります。 確実に発言しているのは,ここに書いてあるものだけです。 尚(国際的に)問題があるようなら即,削除します。 当方(私)は(日本国内においては)一介の国民に過ぎないので私が発言しても「日本が発言したこと」にはなりません。 総理大臣または首相が発言したことだけが「日本が発言したもの」になります。 誰が何を噂してもその事実は,変わるものではありません。 尚,ただの噂話と日本国の正式コメントを混同しないよう(国連の首脳陣:五大老としては)各国の首脳陣には,よろしくお願いしたいと思います。 現在,日本の首脳陣としてのポストはありませんのでそのようにお願いします。


◇◇◇ タイムリープされて過去の私に合う件 ◇◇◇


現在,私の家を訪ねて来ると(親戚や近所の知り合いまたは宅配以外の人)自動でタイムリープして過去の私に合うことになります。 時代は,80年代の場合もあります。 その頃は,労働者が比較的多くて少子化は問題になってない時代です。 なので相談されても時代錯誤の答えになってしまいます,

例えば「AIを使った自動化などは,使用しない方がいい」などです。 時代が異なるので言っていることも全く違います。 それで会社が人手不足で倒産している案件があるそうですが 「過去にタイムリープする」という情報は,オープンで流しているので知っている人も多いと思います。 それでも「知らない」ということは社長が「情報に疎い」ことが考えられます。 また,倒産するまで他人の言うことを聞いているという判断にも問題があると思われます。 更に(これも情報で流してますが)現在は,総帥ではありません。

倒産するのは,また別の深い問題があるような気がします。


◇◇◇ 最後に ◇◇◇

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